「すると見よ、イスラエルの神の栄光が東の方から現れた。その音は大水のとどろきのようで、地はその栄光で輝いた。」エゼキエル書 43章2節

神殿の様子、その有り様を見せられているエゼキエルです。
神殿はこの後、主の栄光が満ちあふれていくのです。
ここ2節を読むと、主とはどのような方なのか、主の栄光とはどのようなものなのかが分かります。

私たちは神様の栄光と聞くと、何か抽象的なものであるとか、光り輝く様子を思い浮かべてしまう気がします。
しかし真の神の栄光とはあやふやなものでもなければ、意味のない飾りのようなものでは決してないのです。
目には見えない神様のその栄光とは、私たちにとってもっと動的なものであり、私に迫り、私を揺り動かし、私の日々に影響を与えるものなのです。

大水のとどろきのように、私の耳に響いて私の眠りを覚まして、私を主の使命を受けた使者として送り出す力あるものです。
その栄光は大地を照らして、信仰者が進むべき道筋を示します。
主の栄光に私たちは近づいたり触れることはできません。
しかし、主の栄光が表されるところで、私たちは具体的に動的に送り出されて行くのです。

主の愛を知る者は、主の栄光を知り、主の愛と栄光によって使者として力強く送り出されるのです。
主の栄光とは力を持っています。私に影響を与えます。
主の栄光を仰ぎ見たいと願いつつ、日曜日の礼拝を献げ、主の栄光の愛と力で、一週間の旅路に送り出されていきましょう。
ご一緒に!

シャローム