「すると、主は彼の方を向いて言われた。「行け、あなたのその力で、あなたはイスラエルをミディアン人の手から救うのだ。わたしがあなたを遣わすのではないか。」」士師記 6章14節 (2017新改訳)

6章から8章はさばきつかさのギデオンの物語です。
その始まりは「主の目に悪であることを行った」と言うことばで幕が開きます。
イスラエルは、一人のさばきつかさが死ぬと、直ぐに罪をおこなうようになるのです。
そしてこの時は、その罪の結果、ミディアン人から圧迫され、収穫物を奪われると言う、困難がありました。

ようやく人々は、苦しみの中から主に叫び求めるようになります。
主は、さばきつかさとしてギデオンを召します。

しかし、主の声を聞いてもギデオンは自分の弱さと部族の中での存在の小ささを訴えてばかりで、直ぐに立ち上がりません。
幾つもの弁明の言葉を口にしたギデオンに向かって、主がギデオンに語られたことばが14節です。
今朝は、二つのことばが心に留まりました。

・「主は彼の方を向いて」
主は、確かに存在し、私たちと交流を持ってくださる方です。
ここには向いてとあります。
「振り向き」「向かう」「見る」と言う意味がある言葉です。
神さまの方から、私たち人に向き合ってくださるのです。
全能の神が私と向き合ってくださると言う、素晴らしい恵みがここにありました。
私を見ていてくださり、私の存在に振り向いてくださって、声を掛けてくださる。
私の持つ問題を解決してくださろうと、向き合って、神さまの方から声を掛けてくださる方なのです。
私たちは、この方の目の前に悪を行うことができるのでしょうか。
そんなことを考えました。

・「あなたのその力で」
主がともにいてくださることが、勇士としての最大の力です。6章のギデオンの物語がそれを教えてくれます。
同時にここから教えられたことがあります。
私たちが持つ問題や困難は、私のそのままの力で解決ができるのです。
問題が問題となり、私を苦しめるのは、私が主と向き合っていないからです。
私たちの持つ問題の根は、私に向き合ってくださっている主に対して、私が向き合わないことに始まっているのです。

私が罪から離れ、主を見て向き合うとき、問題から既に私は救い出されているのです。
主がともにいてくださるのだから。
シャローム