「ただ、あなたがたの神、主がご自分の住まいとして御名を置くために、あなたがたの全部族のうちから選ばれる場所を尋ねて、そこへ行かなければならない。」申命記 12章5節 (2017新改訳)
約束の地に入っていったときに、イスラエルの民は、その地に以前からあった偶像の神々の礼拝場所を打ち壊し、彫像を破壊して、消し去らなければならないのです。
それは、まことの神、主だけを信じて、主のことばに従って歩むための命令です。
具体的な方法として、偶像の神々を礼拝する祭壇や彫像や、様々な品物を、消し去るのです。
ぐうそ鵜を礼拝する人たちは、様々な偶像の神々の像を置き、飾ってそれをあがめました。
立派な像や豪華な飾り、神殿を見ると、誘惑されて、同じようなものを作ったり、もっと立派なものを置こうとするのです。
しかしそれは神を違うものに置き換え、あがめる偶像の罪の誘惑になります。
しかし、主を信じる人は、神を地上のかたちあるものに似せて作ったり、置いてはいけないのです。
ここ5節に「御名を置くために」とあります。
主を礼拝する場所は、主が定められます。
そしてそこには像は決して置きません。
ただ、主ご自身がそこに御名を置くと、定められるのです。
場所に関しても、イスラエルが北と南に分裂をしたとき、北のヤロブアム王は、自分勝手に礼拝する場所を二ヶ所も作って、罪を犯しました。列王記の第1、12章29節。
人は、神のことばに従うよりも、自分の自由にしたいのです。
礼拝をするにも、自分が好きな形、自分が立派だと憧れるようなものを作っていきたいのです。
ですから主は、約束の地に入った最初に、偶像の神々を消し去り、主の御名の他には何も置かないように命じたのです。
形あるものは、私たちにとって誘惑となります。
主の御名を置くこと、主の御名が置かれていることを、喜ぶことが大切なのです。
立派な像や建物、調度品に勝るのは、砕かれた心とたましいで進み出る人が集う礼拝の場所です。
シャローム