「あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。」コリント人への手紙 第1 3章16節
パウロはコリントの教会の人たちが「自分はアポロにつく」「ケファにつく」と、主張して分裂を引き起こしていることを間違っていることを指摘します。
いいえ。根本的に違っていると教えます。
救い主であるキリスト・イエスを信じた人は、信じた時から植え移された人です。
それまでは、神に逆らう罪が土台の人生であり、存在でした。
しかし今、私の土台はキリストです。
ありのままの私が神に受け入れられていますが、私の土台は罪ではなくキリストに代わりました。
そこから私たちは、一人ひとりふさわしい成長をします。
ですからパウロやアポロ、ケファを誇るのではなく、土台であるキリストを誇るのです。
そして土台が代わっただけではなく、信じた私のうちには神の御霊が住んでいます。
ですから一人ひとりが違う建物を建てていきますが、それは神の宮として価値ある建物なのです。
さらに、信じた私は、私のものではなく神のものとなったのです。
自分のものではないというのは、不自由なことではなく、キリストの主権の元、キリストの守りの中、キリストの愛に憩う中で自由なのです。
誰も、そんな私たちを滅ぼしたり、喜びを奪うことはできません。
このように根本的に違う存在、違う価値観で生きる者となった信仰者が、同じキリスト者同士で競ったり分裂を引き起こすようなことがあるならば、それはまだ、罪に支配されたままということになります。
しかし信じた私たちです。そんなことはないはずです。
パウロは訴えるのです。
キリストの土台の上に、他の人ではなく、神に喜ばれる神の宮を建てていくのだと、訴えるのです。
信じる前の私とは、全く違う存在になったことをもう一度しっかりと味わっておきたいものです。
私はキリストを土台にして建てられている御霊の住む神の宮であり、神がこの宮の主権者、所有者です。
シャローム