「あなたがたは、この聖なる正しい方を拒んで、人殺しの男を赦免するように要求し、」使徒の働き 3章14節
宮に入るための「美しの門」と呼ばれる場所には、毎日、座って施しを求めていた歩けない一人がいました。
ペテロが、この人の足を「イエス様の名によって」癒したことから始まった騒ぎが記されます。
人々はものも言えないほどに驚きます。
そのとき、この癒しはペテロの力によるのではなく、イエス様を信じる信仰によると証しをします。
そしてペテロは人々の罪を指摘します。
13節では、釈放すると決められたイエスを拒んだと、指摘します。
ここ14節でも、もう一度、拒んだと指摘します。
正しい方とは、ただ無実の罪だと訴えているだけはありません。
聖なる正しい方と、表現しますから、聖い神様であり、義なる神様である方を拒んだのだと強く訴えているのです。
人々は、誰も目にも有罪な男を赦免してでも、義である方を拒んだのだと、その罪の深さを訴えます。
この日、美しの門では、イエス様の名を受け入れた人がいたことが確かです。
そしてその人は、生まれて初めて歩いたのです。
真の神様以外にはそのようなことはできないという真実が人々の目の前にあります。
受け入れる人と、一方では何をしても拒もうとする人がいるのです。
罪の中に留まりたい、そこが心地よいと思う人もいるのです。
しかし、変わりたい、造り変えられたいと切実に願い、イエス様のことばを聞いて受け入れる人も、この日のようにいるのです。
私は、受け入れるのか、拒むのかが問われています。
シャローム