「私はきっと、悪しき者とされるでしょう。なぜ私は、空しく労するのでしょうか。」ヨブ記 9章29節

友人たちの時に的外れの追求を受けて、ヨブは弱りきってしまったことが分かります。
前の28節では「私はおびえています」と告白しています。
主は与え、主は取られると、全てを主に委ねて信頼をした告白したヨブと同じ人だとは思えないほどの言葉、つぶやきです。
おびえて、悪しき者とされると思い。
誠実に生きることを、空しく労すると、言ってしまうのです。

神が全能の方であると信じている一方で、あまりにも苦しく、その上、友人にも責められたことで、あわれみ深い神様の姿を忘れてしまっています。
ですから、なぜと問いかけます。
いつの間にか、主を非難するような言葉へと、ヨブの言葉が変わっています。

しかし、仕方がないと思うのです。
病を得て、家族を失い、財産も健康も失った中で、友人と思っていた人たちも、ヨブに寄り添ってはくれないのです。
このような状況の時、いつまで忍耐すれば良いのでしょうか。
忍耐の先の解決と慰めは、いつ、どのような形で自分に与えられるのかは、ヨブには分からないのです。
それでも忍耐することができるでしょうか。
平安と希望を持ち続けられるのでしょうか。
私自身ならば「とても無理だ」と、いつわらない告白をするしかありません。

苦しみ、悲しい中で、誠実に歩み続けるのは、なんと困難なことでしょうか。
それでもなお、あわれみ深い神、公正で正しく愛の神様に従い続ける信仰を、平安な時にこそ、身につけておきたい。

私は、主にあって労して、空しさから遠いのですと、告白した。
そのように告白できる歩みを日々送りたい。

シャローム