「祭司は祭壇の上で、それを食物として、主への食物のささげ物として焼いて煙にする。」 レビ記 3章11節

主への食物のささげ物の規定が3章で記されます。幾つかの特徴のあることばがあります。
「傷のないもの」
「脂肪」
「焼いて煙にする」

主に献げるのは、全き献身を現しますから、ここでも繰り返して「傷のないもの」であることが強調されます。
そして「脂肪」は、その動物の最上の部位であることを示します。
二つのことばとも、主へは最上のものを最高の状態で完全に全て献げることが命じられるのです。

そして「煙」にします。
主の食物と、ここ11節では繰り返して表現することに心が留まりました。
主が、食べたことにするのではなく、煙を天に上らせて、主がその香りを嗅ぐということを実践します。
形の上では、主が食べたことにして焼いた物を、後で祭司が処分するようなことはないのです。
完全に焼いて煙にする行為を通して、主への献身と主と関係を結んでいることを味わっていくのです。
目に見える形でいけにえの動物がすべて煙となって天に上り、消えて行くとき、そこに目には見えない主の臨在を感じるのです。

今朝は、私たちの歌う賛美の歌声も、歌って終わりではなく、また、その声はやがて空気中に分散して無くなって行くのではなく、天の主のもとへ上り、消えて行くことで届いているのだと感じました。
煙は声にはならない献身となだめの叫び、賛美だと思います。

シャローム