「荒野で叫ぶ者の声がする。 「主の道を用意せよ。 荒れた地で私たちの神のために、 大路をまっすぐにせよ。」イザヤ書 40章3節 (2017新改訳)

聖書66巻から1つの書を選び、その書を紹介しながら「みことば」を味わっていきます。
66巻をゆっくり読み進めながら、聖書に記された神様の愛について味わっていきます。
今日開いたのは、イザヤ書です。

「偉大な書」「崇高な書」とも呼ばれることがあるイザヤ書です。
預言者イザヤに託された主のことばが記されます。
66章にも及ぶ長い書であり、旧約聖書39巻、新約聖書27巻に重ねることができるような内容の流れとなっています。
前半は罪の告白から、新しい時代への待望で終わります。
後半は、捕囚からの解放が語られ、新天新地の希望で終わります。

イザヤはアモツの子として生れます。
このアモツは、ユダの王アマツヤの兄弟です。従って、イザヤはウジヤ王の従兄弟ということです。
その立場からか、イザヤは預言者として、王に直接預言を伝えることができたようです。

また、イザヤ書の最も大きな特徴はその預言のことばが、新約聖書で一番多く引用されていることです。
同時にその預言のことばには、キリストの生涯が示されています。

今朝選びましたのは、後半の最初の大切なところです。
新約聖書にも引用され、その内容である「荒野で叫ぶ者」は、バプテスマのヨハネの登場と活躍によって実現しました。
バプテスマのヨハネは、マタイの福音書の3章1節からの箇所にある通り、実際にユダヤの荒野で主のことばを語り、その姿も特別でした。

ここでは、39章でヒゼキヤ王に対して、イザヤがバビロンへの捕囚の預言を語り、それは39章5節にあるように、ヒゼキヤが主の頼るのではなく外国の力に頼ったこが間違いであると、指摘したことに呼応しています。
主のことばを聞けなかったヒゼキヤとユダヤの人々でした。
今、40章の最初、捕囚の地で困難な状況にある人々に、希望の預言が伝えられるのです。
荒野で叫ぶとは、ここでは捕囚という荒野で叫ばれる声です。

そして、主の道を用意せよとは、神さまの声を聞き、神さまをお迎えできるように、人々が自分の心を整えるように促すことばです。

荒野で叫ぶ、バプテスマのヨハネ、或いは、ペテロ、パウロの声に注目をしがちな私たちです。
しかし、私自身が、ちゃんと主の道を用意して、まっすぐにその声を聞いているでしょうか。
その備えと、素直な心が備わっているでしょうか。
今朝は、今日は、ちゃんと主イエスのことばを聞くことができているのかと、もう一度、問い直してイザヤ書を読みたいと思います。

そして「万軍の主のことばを聞きなさい」と、イザヤが伝えてくれたそのことばを自分のものとしたい。
シャローム