「私たちの神、主が命じられたように御前でこのすべての命令を守り行うとき、それは私たちの義となるのである。」申命記 6章25節 (2017新改訳)
「聞け、イスラエルよ」と、主は語られます。4節。
続くことばは、イエス様が律法の中で一番大切なことばとして引用された教えです。
私たちの人生において、唯一の神であり、唯一の主である方のことばを聞くことが、一番大切なことであり、一番最初にすることなのです。
6章の最後は、主のことばを守り行うとき、それは私たちの義となるのだと、語って閉じます。
私たちには、正しいことを行いたいという思いもあります。
しかし、私たちのおこなう「義」は変わってしまう危険が常にあります。
時代で、地域で変わり、人によって変わったりもします。
同じ人でも、時によって変わることさえある。
悪をおこないたいと、欲している訳ではなくても、私たちは義を正しく義として、求め行うことができないのです。
私たちの義は移り行く。
義には、決して変わらない基準が必要です。
それは神、主です。
神、主のことばです。
この方は唯一の方ですから、他の存在の影響を受けることがありません。
この方のことばを、聞いて行うとき、私たちは義から離れることはないのです。
自分の義を求めるのではなく、神、主を求めることが義であり。
主のことばを聞いて行うことが義になります。
私の中のどこかで、主のことばに従いたくないという思いがあります。
それは自分の義を、神、主の義より上に置きたいとの思いがあるから。
それは義ではなく、罪の心です。
聞け。私の心とたましい。主のことばを聞いて守るとき、私の歩みは義と愛から外れることはないのです。
それはそのまま私の幸いになって行くのです。
シャローム