「わたしは彼らを国々に引いて行かせたが、また彼らを彼らの地に集め、もう国々には一人も残さない。このとき彼らは、わたしが彼らの神、主であることを知る。」エゼキエル書 39章28節
24節までは、主がイスラエルをさばき、彼らが捕囚の民となって行くことを示しています。
しかし、あわれみ深い主は、イスラエルを赦し、再び祝福してくださることも約束してくださるのです。
26節で、イスラエルが主の前に悔い改める時が来ることを示されます。
その後、主は回復と祝福を与えてくださいます。
しかし、それは悔い改めるならば赦されるのだと、教えることばとは違います。
主は厳しいさばきを語りますが、その時には既に回復をも備えていてくださることを示されているのです。
イスラエルが悔い改める前に主のあわれみが示されます。しかし、それはさばきが軽いということではないのです。
ここ28節では、主の回復の様子が示されます。
「もう国々には一人も残さない」とは、主の赦しが完全であることを示します。
捕囚の地から、一人も残さないでエルサレムへ帰ることができるというのは、主の赦し、回復というのは完全であることを示しています。
ここに主が、どのような方であるかが表されています。
人が隣人を赦すのは、なかなか完全にはできないものですが、主の赦しは、人の赦しとはまったく違い完全なものであることを示しています。
やがて赦されるならばと、いい加減に生きるのではなく、完全に赦してくださるほどの愛とあわれみで接し導いてくださる主の前に真摯に生き、主のことばに素直に聞き続ける者でいたい。
シャローム