「その人は 流れのほとりに植えられた木。 時が来ると実を結び その葉は枯れず そのなすことはすべて栄える。」詩篇1篇3節

昨日でヨブ記を読み終えましたので、今朝からは、続く書の詩篇と新約聖書の手紙を交えながら読み進めていきたいと願っています。
今朝は、詩篇の最初の1篇からです。
詩篇は全部で150篇あります。その最初の詩篇は、詩篇全体を表すような詩篇でもあると言えます。
ここに詩篇を記し、歌った詩人(信仰者)の心と信仰の姿があります。
同時にそれは、詩人を愛してくださっている神さまの姿でもあります。

また、詩篇は「詩」であり「賛美」であり「歌」です。
さらに、これを記したヘブル語の特徴がよく表れています。それも美しい特徴が表れています。
そんなヘブル語の詩をも味わっていきたいと願っています。
今、私たちは新型コロナウイルスの感染の影響下にあります。
大きな声、声を張り上げるようにして自由に賛美することが難しい状況下にあります。
そんな中でも、詩篇を読むことで、神、主を心から賛美することができます。
実際に制限された生活の中で、賛美した詩人の声もここにはあります。味わっていきましょう。

今朝は、神さまの慰めと約束の溢れることばを読みます。
1篇は、ヘブル語の詩らしい並行法で歌われています。
二つの内容を、並べて語ることで強調し、また美しい流れにしていく方法です。
ここには「幸いな人」と「悪しき人」が並んでいます。
そして貴方を幸いな人としての姿を教えてくれます。

悪しき人は、栄華を誇ったとして、他の人より豊かになった立派になったと自分を誇ったとしても、それは空しいものだと歌われます。
その終わりは滅び、消え去るのです。
しかし、幸いな人は、神によって幸いな歩みが与えられるのです。

3節はまず、幸いな人は、神の手によって植え替えられた人だと歌われます。
今、私が生きる場所は、最高の場所に神の手によって移されて、手稲に植えられたのです。
それは大河のほとりです。
自分の目にはそうは見えなくても、それは最高の水があり、陽当りも良い、成長し恵みを受け取る場所です。

そして台風や様々な試練があったとしても、そのすべてを通して、栄えることができます。
最高の地です。
何よりも、私が一人で生き、一人で咲くのではなく、私には幸いな者人として神の手がいつも添えられているのです。
さあ今日、結ぶ実はどのような恵みの実でしょうか、期待していきましょう。

神を愛し信じる人を見て「ああ、幸いな人よ」これが正しい評価として声が上げられるのです。
貴方を愛して、貴方に手を添え、移し替えて最高の恵みを備えてくださる神を見上げる一日としましょう。
シャローム