「どうか、ヨブが最後まで試されるように、彼は不法者のように、ことばを返すからだ。」ヨブ記34章36節

ヨブは大変な試練に遭っています。けれど最後まで試練を受けて、耐えるべきだと、エリフは語ります。すごい迫りだと感じます。とても私には耐え切れないとも感じます。

エリフはヨブを真の悔い改めに導こうとします。
それは他の三人の友人たちとは立場が違います。
三人は、ヨブが罪を犯したからさばきにあっていると決め付けて、悔い改めを迫りました。
エリフはそうではなくて、全能で主権者である神の前に、自分の義を主張するヨブが正しくないので、悔い改めを迫るのです。
32節のヨブの言葉は、やはり自分の正しさを誇っています。エリフはそこを指摘したいのです。

ですからエリフは繰り返して、聞けと語ります。
ヨブがいつの間にか自分の義ばかりを語り、聞くことができなくなっているからです。

そしてエリフは、ここ36節で厳しい迫りをします。
ヨブの試練が、これまでの内容で終わりではなく、さらに試練を受け、最後までそれに耐えるように迫るのです。
ヨブが、黙って神の試練に最後まで耐えることで、ヨブは神の御心を聞くことができるという、迫りであり教えです。

「不法者のように、ことばを返す」とは、厳しい言葉です。
正しいことを行うことと、自分が正しいことをしたと、主張することは別のことです。
神を全能者と信じるならば、神が神に見ておられることに委ねるということです。
しかしこれは大変な試練の中に在って、黙ってさらに最後まで試練に従うのは難しいと、告白するしかできないのが私のこの朝の本当の心です。
それでも、さらに試練に耐え、神の備えてくださっている回復と祝福を期待するのです。

弱さを認めつつ、最後まで黙って耐えるこの二つを持つのは難しいことだと覚える朝です。
だからイエス様は「試みにあわせないで悪からお救いください」と、祈るように教えてくださったのです。
シャローム