「「人々を遣わして、わたしがイスラエルの子らに与えようとしているカナンの地を偵察させよ。父祖の部族ごとに一人づずつ、族長を遣わさなければならない。」」民数記 13章2節 (2017新改訳)

主がモーセに命じたのは、約束の地を偵察することでした。
主が与えると言われた豊かな地を、各部族の代表である族長が自分の目で見て来るのです。
その土地がどのように豊かなのか?そこに住む人々が強い力を持っているのかどうか?を探ります。

土地は豊かな果実を実らせていました。
ただ、住んでいる民は力が強いのです。

12人の族長が二人ずつ組みになって偵察しました。
その結果はハッキリと二つに分かれました。
ヨシュアことホセアと、カレブの二人だけが、素晴らしい土地であり、占領できるから足を進めようと進言します。
しかし、他の10人は口を揃えて、無理だと言うのです。
そこに住む者は、背も高く強いからだと、訴えます。

もちろん、ヨシュアとカレブの言葉が正しいのです。
信仰者として正しいのです。

主は、偵察させて、彼らの心が萎えるようにしたいわけではありませんでした。
そこにあるのは、主が約束してくださったとおりの豊かな土地です。
しかしそこに強い民が住んでいることは、試練の一つにはなったとしても、主の約束は実現するのです。
その時にこそ、信仰に立って進むべき時なのです。
主の助けを信じて進むのです。

同じものを、同じ40日間をかけて見てきたのに、何故、10人は不可能だと考えたのでしょう。
目に見えているものは同じでも、ヨシュア、カレブと他の10人は別のところを見ていたのです。
主の約束を見据え、その恵みと良いものを見ることができるのか。
障害や課題に目を奪われて、主の約束を見失ってしまうのか。

私たちは、何をどう見るのかが問われます。
主の約束に立って、この世を見ることができるように歩み続けたいものです。
シャローム