「なぜ、あなたは神と言い争うのか。 自分のことばに、 神がいちいち答えてくださらないからといって、」ヨブ記 33章13節 (2017新改訳)
聖書66巻から1つの書を選び、その書を紹介しながら「みことば」を味わっていきます。
66巻をゆっくり読み進めながら、聖書に記された神様の愛について味わっていきます。
今日開いたのは、ヨブ記です。
正しい人であるヨブが、苦しみ試練に会う様子を記す書です。
なぜ、ヨブは苦しまなければならないのかについて考えなければならない書です。
終わりの日はいつやって来るのか、それまで信仰者はどのように生きるのか、サタンはどのようにこの地上で動き、暗躍するのか。
分からないことは多く、なぜ、突然悲しい出来事に会うのか。
全能の神の前にサタンはどのような存在なのか。
分からないことを知ることにだけ心が向くのではなく、分からないことが起きている最中で、どのように信仰に寄り頼んで生きるのか。
神を信じて生きていたヨブでしたが、突然苦しみに会います。
子どもたちを失い、財産もなくし、自分の身は病に苦しむことになるのです。
その時、ヨブは神を呪ったりしませんでした。他人を憎んだりもしませんでした。
ただ、分からないことが多い中で、苦しみの日が始まったのです。
彼を見舞いに来た友人たちも掛ける言葉を無くすほどの惨状です。
しかしヨブを慰めたい、励ましたいと願っていた友人たちは、このひどい状況に、答えを求めます。
そしてヨブに隠れた罪、人には見つからない罪があるので、神がヨブを打たれたのだと、結論づけてしまい、ヨブを責め始めるのです。
しかしヨブは、自分の潔白を訴えます。
友人たちよりも、自分の方が正しいと語り、譲りません。
初めは黙っていた友人の一人がついに口を開きます。
それは、ヨブの主張が自分の正しさを訴えるあまり神よりも自分を正しいとしたからです。
分からないことがある。辛いことを経験するのです。
しかし自分の正しさを訴えるだけでは、神と争うことになるのです。
私には分からないことがある。しかし神を信じて委ねます。
分からないことについて答えを求めるのではなく、神を求めるのです。
私たちの祈りに対して、神は必ず応えてくださる。
しかしその答えは、必ずしも私に理解できることばでは応えられる訳ではない。
神はわたしを愛して見捨てない。
しかし神は、神ご自身が望むように私を助け、神が望まれる時に、神の計画のままに動かれる。
神は私より絶対に正しく、徹底的に私より愛の方である。
今、苦しむ最中でも、神の愛と守りは絶対である。
ですから、分からないことがあるのだと、私は受け止めることが信仰であり、神を愛することになる。
解決、助け、癒し、慰めを諦めるのではないのです。神を信頼するのです。
祝福は必ず沈黙の神から届く。
ヨブ記は、分からないことが多いのです、ですから普段から繰り返して読み続けることが私の力になります。
シャローム