「荒廃だ。荒廃だ。廃墟をわたしはもたらす。これは、さばきを執行する者が来て、わたしがさばきの権威を授けるまで、起こったことのないような出来事だ。」エゼキエル書 21章27節

2つのことが示されています。
今回のエルサレムの陥落、崩壊は主のさばきによるものであり、もう避けることはできないということです。
荒廃し、徹底的に廃墟となるまで、それは行われます。
主のさばきとして、バビロンが用いられるので、避けることはできません。
荒廃、荒廃、廃墟とことばを重ねて、それが徹底的におこなわれることが示されます。

もう一つは「さばきを執行する者が来て、わたしがさばきの権威を授けるまで」です。
これはメシアを指していると考えられます。
イエス様が、地上に来て救いの業を完成させた後、次に終末のときに、さばきをおこなわれるその日まで、もう、このような厳しいさばきはおこなわれないということです。
それほどまでに厳しいさばきであり、父なる神によるさばきであることがもう一度、示されているのです。

エルサレムとそこに住む住民と王、そのすべてが主のさばきによって荒廃するのです。
父の権威と力によっておこなわれるさばきであることを受け止めなければならないのです。
そうすることで、その先に主による回復を期待することができるのです。
現代を生きる私たちは、エルサレムの崩壊と同じようにさばきを執行する主の再臨の日が直ぐに来るのだと、意識して歩みたいものです。

シャローム