「いつまで、あなたはこのようなことを語るのか。あなたが口にすることばは激しい風だ。」ヨブ記 8章2節 (2017新改訳)

8章は、シュアハ人ビルダデのことばが記されます。
4〜5章で語ったエリファズのヨブを責めることばを聞いていたためか、ビルダデの語ることばは最初からヨブを激しく追求することばです。
4節などは、亡くなったヨブの子どもたちが罪を犯したので、神にさばかれて死んだのだと決めつけて語っているほどです。

今朝選びました2節は、ビルダデが口を開いた最初のことばです。
最初から、ビルダデにはヨブに対する敬意や愛情がありません。

7章までにヨブが応えてきたことばを「激しい風」と表現します。
8章は、パピルス、葦、クモの巣など、自然のものを比喩的に上げながら、ヨブを責めるのが特徴です。
自然界を見ても、罪ある者が神にさばかれるのは当然のことなので、はやく悔い改めよと、迫るのです。
彼、ビルダデは自分が正しいと言う視点からヨブに語るのです。

しかし、どうなのでしょう。
ヨブの苦しみ悲しみの中からの嘆きのことばを、激しい風と、まるで耳にうるさい雑音かなにかのように表現する態度は、正しいのでしょうか。
正しくありません。

ヨブと彼の子どもたちが罪を犯したのかどうかは分からないのです。
何故、神がヨブの身に起きるこれらの災いを赦されているのかは、人には分からないのです。
ヨブの心から絞り出す嘆きを、雑音、聞き苦しいことばと断じてしまうビルダデこそ、愛とあわれみのない激しい風のようなことばです。
新約聖書が教えてくれる御霊の実を結び、信仰者として、このようなときにこそ柔らかく、友人を立ち上がらせることばを口にしたい。
神のなさることは私たちには分からないことばかりなのです。
しかし苦しみの中でも、最後まで主に信頼して従えるように、悲しみの人と一緒に寄り添って祈れる人になりたいと思います。

ヨブの嘆きのことばの足りないところ、言いすぎたことばを取り上げて責めるのではなく、ただヨブの嘆きを聞いてあげる信仰が自分の中に養われたいと思います。
シャローム