「あなたがたの羊の群れの十分の一を取り、あなたがた自身は王の奴隷となる。」 サムエル記 第一 8章17節

イスラエルの人々は、周辺の国々と同じような王を求めるようになりました。
祭司であるサムエルに求めて、主に願い出るのです。
それは周辺の強い国のようになりたいと願ったことでした。
しかしそれは、主である神様を捨てて、他の神々を仕えるようになったことから始まっていたのです。

王様は、政治的に人々を治め、戦いに勝利し、人々をさばく存在です。
人々は、祭司を通して主がイスラエルを治めて平和を与えてくださっていることを忘れてしまったのです。

人々は自分たちの手で王様を立てて、国を強く、豊かにしたいと願ったのですが、それは自分から一人の人(王様)の奴隷になることでした。
人々は、自分の自由に神々を選び、それを崇めて、王の指導で強く豊かになりたいと願ったのです。
きっと、自分たちが気に入る王様を選べると考えたのです。
しかし自分で選べるはずの王様、自分の思い通りに取り替えられると考えた王様では、人々を愛して守り導いてはくれません。
しかし、それは主が与えてくださっていた恵みを捨て、平和と平安を捨て、自由になったつもりで。王の奴隷と言う鎖に繋がれることでした。

私たちは、主から与えられている恵みを当たり前に受け取るばかりで、その恵みの大きさと守られていることに気がつくことに鈍い心の者なのです。
自分で選べる王様や好きな神々を求める心ではなく、私を選んくださった主を慕い求める心を持っていたい。
豊かさや強さを求めるのではなく、私を愛してくださっている主を慕い求めることが一番大切であることを忘れないでいたい。
そしていつも積極的に具体的に主を求め続ける者でいたい。

シャローム