「思い直してくれ。不正があってはならない。 思い直してくれ。私の正しさが問われているのだ。」ヨブ記 6章29節 (2017新改訳)

「慟哭」と言う言葉があります。
28〜30節のヨブの言葉は、まさに慟哭だと、感じます。
2017版は、第三版とは翻訳を変えています。ここ29節も第三版は「思い直し、思い返し」と、翻訳を変えていますし、単語の順序も違います。
2017版の方が、よりヨブの心情を良く現していると感じます。

この3つの節は、同じような意味の言葉を二度繰り返して、強く訴える形を取ります。綺麗な表現です。
「顔を向けて」と「顔に向かって」28節。
「思い直して」「不正」と「思い直して」「正しさ」29節。
「舌」と「口」30節。
特に29節が綺麗な文章です。

ヨブは、14節から23節で、慰めに来たはずの友人のエリファズに、責め立てられ裏切られたと感じています。
絶望したヨブの嘆きが続くのです。
絶望しているヨブは、友人の慰めの言葉を待っているのに、友人は事の正しさが何であるかを追求するばかりです。
25節では、真っ直ぐな、正しいことだけを責める言葉には慰めも力もないことを訴えています。

ヨブは、自分が正しいことを証明して欲しいわけではないのです。
思い直してと、繰り返すのは、急いで判断しないで欲しいとの訴えなのです。
ヨブに不正、罪が有ると、急いで決めて責めえるのではなく。
一緒に嘆き悲しんで欲しいのです。
一緒に神に叫んで欲しいのです。
しかしエリファズは責めるのです。

ここを読みますと、理由が分からない試練の中で苦しむ時、サタンに誘惑されて神から離れてしまう危険は、本人よりも周りの友人かも知れないと思いました。
急いではいけないのです。
思い直し、忍耐強く寛容な神のあわれみの中で生かされている身であることを思い出して、言葉を選ぶのです。
それでもやはり思うのは、絶望する友人を慰めることができるのは、イエス様だけだということです。
そしてイエス様を知っていることが、私たちの幸いであることを、試練に遭う前からしっかり味わって身につけたい。
シャローム