「耳を背けておしえを聞かない者は、 その祈りさえ忌み嫌われる。」箴言 28章9節

自分自身が聞こうとしない者は、その人の祈りも聞かれること、即ち、祈りが答えられることはない。
9節は、神と人との姿を短いことばで示してくれています。

28章の多くのことばは、神と信じる人、神と背く人の二つが比較されています。
一方は、豊かになり上手くいっているようでも、後にはすべてを失い安住することができません。
もう一方は、貧しくとも平和と祝福を得て、安住の地へと導かれます。
貧しく、苦難があることは喜べることではないのですが、その試練を通って、主の助けを経験できる恵みもあります。

この9節でいう「おしえ」とは、主の律法だけに留まらず主の語られることばをも示します。
語られた主のことばを聞こうとしないばかりか、耳を背けてしまうような人がいます。
この人の毎日は、自分中心であり、主を真ん中にして生きることもなく、主の教えに従いません。
ところが、この人も、困難を経験すると、自分勝手な助けを祈るのです。
そのような時には、厚かましく主に祈ります。

しかし、主はこの人の祈りには答えてくださいません。
「忌み嫌われる」とは、非常に強い表現で主がその祈りには決して答えてくださらないことを教えるのです。

寛大で大きな愛とあわれみで、私の罪を赦してくださる主が祈りに答えてくださらないことがあるのでしょうか。
きっと助けてくださると、勝手な解釈をしたくなります。
けれども、主が忌み嫌われるような祈り、祈り方をしてはいけないのです。
この9節のことばも含めて、私たちは、主のことばを耳を傾けて聞くことから始めたい。
「しもべは聞いております」と、朝ごとに祈りたいものです。
シャローム