「私たちは武装して主の前にカナンの地に渡って行き、私たちの相続の所有地を、このヨルダン川の川向こうとします。」民数記 32章32節 (2017新改訳)
多くの家畜を所有していたルベン族とガド族は、家畜を養うのに適したヨルダン川の手前側に居住することを望みました。
しかし川を渡らないと言うことは主の命令に反することに繋がって行く危険があります。
モーセはそのことを40年前の斥候の人たち十人の失敗、罪に重ねて、彼らを戒めます。
しかし彼らは、戦いを畏れているのではなく、自分たちにとって有利な土地が欲しいのでもないと訴えます。
その証しとして、彼らはどの部族よりも先立って戦うことを約束します。
モーセは、彼らに自分の口から出たことを実行するように命じます。
彼らは戦うのです。
20節から、この選びました32節までの箇所には、何度も「主の前」と言う言葉が登場します。
20、21、22は二回、23,27,29,32節と、登場します。
ただ勇敢に敵と戦うのではありません。
主の前に立ち、主の義のために戦うのです。
主の前に立つとは、主の剣として戦うことであり、主の前に正しいことをする、主のことばに従い通すと言うことです。
繰り返して使われる「主の前」と言う言葉ですが、文章としては、この言葉がなくても意味は通じるのです。
でもそれではいけないのです。
主の前にどうであるべきか。どうするべきなのか。
これが私のすべてです。
今日も主の前を、確信を持ち進み行く者でいたいと思います。
シャローム