「彼らがそういうことを行うのは、父もわたしも知らないからです。」ヨハネの福音書 16章3節
ここで直接のこととして言われているのは、イエス様の弟子たちが批判されたり、迫害をされることです。
彼らとは、祭司長や律法学者、長老たちです。
この人たちは、自分たちこそは神様を信じて仕えており、他の民たちよりも優れていて、神様にも特別に祝福されていると思っています。
そして自分たちとは違う考えの人を排除したり見下しています。
ですから、律法の専門家ではなく、祭司でもないイエス様の教えを信じる弟子たちを排除し迫害します。
そういうことを行うとは、そのような迫害を言います。
同時に、真の神様を求めようとしないことも、そういうことを行うということです。
正しい信仰を求めて、神様のことばに従うことを求めようとないのです。
それは、父である神様を知らないし、イエス様が救い主であることも知らないからです。
でも知らないのは、求めないからです。
知らないことは罪ではありませんが、彼らは求めようとしない、聞こうとしないので罪があります。
そして知らないままで、人を迫害し、民が真の神様の前に行くことを邪魔したりするのです。
信仰は正しく真っ直ぐに、真の神様を知ることから始まります。
父を知らないまま、信じることはできないのです。正しく生きることはできないのです。
父は御子を通してすでにご自身を現してくださっています。知ることができるのです。
シャローム