「私はへつらうことを知らないし、そんなことをすれば、私を造った方はすぐにでも私を取り去ってしまわれるだろう。」ヨブ記32章22節

「エリフ」とは、「彼は私の神である」と言う意味の名前です。
「バラクエル」とは、「神が祝福される」と言う意味の名前です。
ヨブの友人、三人の後に若いエリフが登場しました。その名前から、彼と彼の父が神を信じる人であることが分かります。
エリフは、年長者の三人がヨブの間違いを指摘することを期待して、控えていましたが、彼らにはそれができないのだと分かり、口を開きます。
また、エリフはいつの間にか、ヨブが神よりも自分を義としていることに義憤を感じています。
それななのでエリフは、三人とは違う視点から語り、ヨブに間違いを認めさせようと、口を開いたのです。14節。

エリフは、神の前に命がけで語るのだと、告白しています。
へつらうことなどしないし、いい加減なことを語るならば、神がすぐにでも自分の命を取り去るのだと、その覚悟を語ります。
エリフは、ここまでヨブと三人の友人たちのやり取りを聞いていて、黙っていられなくなったのです。

それは神が完全な義の方であり、全能者であり、主権者であるのに、いつの間にかヨブが、その神に挑戦しているから、怒りを覚えるのです。
そしてヨブに言い返せなくなった友人たちにも怒っています。
彼ら三人が正しく神の義と支配を知らないからです。

全能の神の前に生きていることを、私たちは覚えていなければいけないのです。
いや、生かされていることを覚えるのです。
それは愛されているからです。
しかし、災いが来ることがあるし、嘆き悲しむこともある。
けれども、それでも神は全能であり、あわれみ深い方であることは変わらないのです。

嘆きの中でそれを忘れてはいけない。
命がけで、ここからエリフは語ります。
命がけで、私たちは主イエスを愛するのです。それが答えを知ることになります。
シャローム