「レビ人を主の前に進ませる。イスラエルの子らは手をレビ人の上に置く。」民数記 8章10節 (2017新改訳)

祭司職に就くレビ人を任職していく場面です。
全イスラエル、12部族の中からレビ人は選り分けられて、任職をされます。
しかしそれは、主の前にレビ人を奉献物としてささげて主の天幕の奉仕に就かせることなのです。
ただ、誰かを、その奉仕に任命するのとは違います。
イスラエル全体の代表として、選り分けて、聖めて仕えさえます。
そのため、すべての部族の前で、すべての部族が彼らの頭に手を置いて、聖め、委ねて遣わすのです。

それは他の人が勝手に代わることはできません。善意からでも代わっていくことはできません。
何故、それがレビの部族なのかは説明されません。
主が,選び、命じたのです。
主は、いつ、祭司職はレビ人だと決められたのでしょう。
創世記の終わりの頃に記されているヤコブの遺言には、もうそのことが示されています。
残虐な行為をして厳しいことばを受けたはずのレビが選ばれています。主が選んでいます。
私たちには、その理由は分かりません。明かされません。
ただ、はっきりと主が選びました。

すべては主のみこころのままです。
すべては主の愛と恵みから始まっています。

そして、この祭司職は厳しい定めの中で仕えます。
レビ人は、25〜50歳の期間だけ会見の天幕の奉仕の務めをするのです。そう定められています。
すべて主のことばに従って仕えるのです。
主のために奉仕することが、このような規定を守ることにも現れています。

主の愛と恵みに答える時,私たちには明かされないことがあり,時折、厳しい道が示されるのです。
しかし、その奉仕の始まりにも,目的地にも恵みと祝福があることは確かです。
選ばれて遣わされた時には,既に主の恵みの中にいるのですから。

今日,私たちはもう一度,主に愛されて,社会に遣わされて行くのだと覚えて,歩みたい。
シャローム