「証言して言いなさい「私たちの手はこの血を流しておらず、私たちの目はそれを見ていない。」申命記 21章7節 (2017新改訳)

野で刺し殺された人が見つかり、その犯人が分からない場合には、どう対処するのかを記しています。
登場するのは長老と祭司です。
長老は町に住む民の代表です。祭司は、ここで行われることが人の間だけで決められることではなく、主の前で聖く正しいことが行われることを示します。
犯人が分からなくても、殺人という事実があります。その罪と汚れを、残った者は真剣に取り除かなければなりません。
ですから、子牛を犠牲にして屠り、手を洗って、真実を主の前に証言することを現すのです。

当然、嘘があれば、主によって暴れるのです。

ここ21章は、この箇所に続く律法は、捕虜の女性の中から妻に使用とした場合と離縁する場合の取り決めが記され。
二人の妻を持った場合の、子どもへの財産の分け方について、自分の偏った愛情では決められないこと。
また、父と母に逆らう放蕩息子の扱いについて記されます。

とても細かな律法の取り決めが記されていますし、内容もばらばらです。
しかし、共通することが明確にあります。

すべて主の前におこなうこと。
既に与えられている主のことば、律法に従うこと。
主の前に命をかけて進み出て、真実の証言と行ないが求められていることです。

それは生活のすべてのことにおいて主を恐れることです。

主に愛されている私たちの間に、律法を破る殺害や、公平ではない行動、愛のない行ないがあってはいけないのです。
聖い主を恐れることは、主を愛していることでもあります。

主を愛して主を恐れ、人を恐れないで人を愛して、自分のおこないを決めていきたい。
シャローム