「神は私の道をご覧にならないだろうか。私の歩みをすべて数えておられないだろうか。」ヨブ記31章4節
ヨブの嘆きは訴えに変わり、ついには自分の正しさを誇るようなことを口にし始めるのです。
ヨブは1節で、自分の関心は神との関係であって、自分は女性に目を奪われたこともないと、訴えます。
神との親しく正しい関係を望んでいるのです。それは真実です。
そしてその求めは正しいのです。
しかしヨブは神との関係が切れてしまっていると感じて嘆くあまり、そして友人に責められることで、自分の正しさを誇ってしまうのです。
ここ31章で、ヨブが訴える正しい行いは、その通りにヨブがおこなってきたのです。
確かに、一つひとつ上げられた内容を見れば、友人たちの訴えていることが間違っていると、言えます。
友人たちも、これには反論できません。
しかし嘆き悲しみが深くて、ついにヨブは、神に反論してしまうのです。
ヨブがここで言う「私の道」とは、正しい行いをしてきたのに、それを神はご存じないのか、見ておられないのかとの意味です。
神は知らないのかと言う、反論、批判とも言えます。
また繰り返して訴えます。
「私の歩みをすべて数えておられないだろうか。」とは、神がすべて知っておられないのかいう、苛立ちとも思える反論です。
私はわざわいも神から受けるべきなのだと、妻に告白したヨブはどこに行ってしまったのでしょう。
神は、このヨブの発言も、心もすべてをご存じなのです。ご覧になっておられるのです。
私たちは、いつも見て、見守られていること、すべてを数え、知っていてくださる方が、私の主、私の神だと、心から告白して、私のすべてを委ねていきたいのです。
シャローム