「あのとき、神はともしびを私の頭上に照らし、神の光によっても私は闇の中を歩いた。」ヨブ記29章3節

ヨブはさらに続けます。
友人たちの批判に対して、以前のヨブがどれほど正しく生活をして、人々のために町でも中心的な存在であったかを語ります。
その頃は、年老いた者、死にかかっている人でさえも、ヨブを祝福したほどであったと、語ります。
これは苦しい中からのかつての祝福に関する吐露であり、友人たちの攻撃、批判への弁明でもあるのです。

しかし、今ヨブは苦しみの中におり、祝福はなくなってしまったように感じています。

ここ3節では「ともしび」「光」と、似たことばを重ねて強調します。
二つを分けるならば、ともしびは、神の祝福がいつもヨブに注がれていたことを表します。
光は、神の導きがあって、失われることがなかったことを表すのです。

ヨブの正しい生活は、みんなが知るところであり、その時のヨブには、神の祝福と導きがあったことを語るのです。
ヨブは今、神の祝福と導きを強く求めています。
そのため、かなり行き過ぎた主張をして自分の正しいことを訴えています。

それでもこの強い表現から分かるのは、ヨブが人からの慰めではなく、神からの慰めを求め、祝福を願っているのです。
苦しみ悲しみの中から、いつも神の慰めと祝福を祈り求めることができる者でいたい。
正しさを主張するよりも、足りなさを告白して、神の導きを求めたいものです。
シャローム