「すると、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。」 マルコの福音書 15章38節
15章の続きです。
イエスさまが、十字架の上で息を引き取られた時に、神殿の幕が避けたことを、著者のマルコは丁寧に記しました。
そこに大切な意味があることを、私たちに教えてくれています。
神殿の幕とは、神殿の一番の奥、中心にある至聖所の入り口に掛けられている幕のことです。
至聖所と外を仕切る幕です。
祭司以外が入ることはできません。祭司も自由に入ることができるわけではないのです。
特別な奉仕をする時だけです。
それは象徴的に意味として、神と人とを完全に区別するものです。
人は誰一人、勝手にこの幕の向こう側に入ることはできません。
今、その幕が裂けました。
神と人とが、新しく関係を持つことができるようになったということです。
イエスさまの死がそれを可能にしました。
イエスさまの十字架の死が私のためであると信じることができる人は、神と新しく関係を結ぶことができるのです。
そしてこの幕が上から下に裂けました。
通常では考えられない裂け方です。
日本のお店で見かける「のれん」を思い起こしてください。
のれんが裂けるとしたら、それは下から上に向って破れていくものです。
上から下へ裂けるとは、上からの力があって、可能なことです。
即ち、この時、神が裂いたのです。
神が、天から神と人とを区別していた幕を裂き、人と関係を結んでくださることを象徴しています。
そして、繰り返しになりますが、それはイエスさまの、身代わりの死があって実現しているのです。
通常では起きないこと、神が罪人の身代わりになってくださること。
神が、犠牲を払ってくださって、道を開いてくださるという、通常では起きないこと。
それが今、確かに起きたことを、この他ならない神殿の幕が上から下へと裂けるという、通常では起こりえないことが起きることで、示しているのです。
あなたのために、神殿の幕は上から下まで完全に裂けました。
神の救いの業は完全なのです。
シャローム