「彼が、彼らに先立って出て行き、先立って入り、また彼らを導き出し、導き入れるようにしてください。主の会衆を、羊飼いのいない羊の群れのようにしないでください。」民数記 27章17節 (2017新改訳)

約束の地を目前にして、モーセは主によって約束の地を山の上から自分の目で見ることが許されます。
同時に、主の命令に逆らった罪を問われて、約束の地に足を踏み入れることはできないと、示されます。
指導者、民の霊的な指導者の重責を思います。
しかし神はモーセを見捨て、退けたのではありません。
モーセは、この後出てこないほどの主のしもべであったと、主に祝福されるのです。

そのモーセは、自分の死を目前にして、覚悟を持って主に訴えるのです。
次の指導者を立ててくださいと、民を思って、願うのです。
次の指導者は「先立って出て行き、先立って入り、また彼らを導き出し、導き入れる」人でなければなりません。
先立ってとは、その人自身が主を信じ、主のことばに従い通せる人と言うことです。
導き出し、導き入れるとは、信仰の見本を見せ、同時に民とともに歩むことです。
この民は、主を信じているようで弱く、直ぐに主に背くのです。
ですから主にだけ信頼し、主のことばに素直に従い通せる羊飼いである指導者が必要なのです。
そうでないと民は滅びます。
羊飼いのいない羊は、滅びるしかないのです。

その指導者にはヨシュアが選ばれます。
モーセの従者から、主のしもべと呼ばれる信仰者に変えられるのです。

最後まで自分の使命を果たそうと、弱く罪深い民のために、主に執り成したモーセの信仰の歩みに学びたい。
そこにはあわれみ深い主に信頼し、主に期待しているモーセの素直な信仰の姿もあります。
隣人のために執り成す信仰と、主に期待して委ねられる信仰を持ちたいと思う朝です。
シャローム