「あなたは、ほかの神を拝んではならない。主は、その名がねたみであり、ねたみの神であるから。」 出エジプト記 34章14節
「ねたみ」私たち人の間で「嫉み」と言えば、相手のことをうらやんだりして、素直に喜べない、受け入れることができないといった意味になるでしょう。
良い感情、そこから出る良い行動とはならないものを思い起こさせますから、嫉みは良くないものと理解しています。
完全な愛の神であり、あわれみと赦しの神とは、相いれない「ねたみの神」という表現、お名前だと感じます。
しかし、主はご自身のことを「ねたみの神」だと、言われます。
主はここでモーセを通して民と「十のことば」で契約を結んでくださる。28節。
その最初に命じるのは、神はお一人であるということ。
ですから、他に神々など元々存在しないのです。
けれども人は、勝手に神々を造り出し、それを崇める罪人であることを主がご存じです。
それだからこそ主は言われます。
ほかの神を拝んではならない。
それは主が赦す神であっても、赦さないことです。
そのことをさらに強く教え守るように命じる時、主は、ご自身をねたむ神だと、その名を表されるのです。
そこに主の赦しは期待できません。
主は偶像崇拝を赦しません、受け入れません。
私たちもまた、ねたむほどに主だけを愛して信じる心を持たなければいけないのです。
神、主以外にほかに神々はいない。
愛する神は唯お一人です。
シャローム