「見よ、これらは神のみわざの外側にすぎない。私たちは神についてささやきしか聞いていない。御力を示す 雷を、だれが理解できるだろうか。」ヨブ記26章14節
ヨブは、ビルダデが神の表面的なことしか知らないのだと指摘します。
ビルダデは神を主権者としてこの地を治めてさばきをおこなう方だと、示します。
それに対して、ヨブは神はよみの世界も、さばきの後もこともすべてを治める方だと、示すのです。
そしてビルダデの知識、口にする言葉はいったいどこから出てきたもの、知識の源は何かと問うのです。
ヨブが、自分の嘆き苦しみを、友人たちに理解されない悲しみ、慰めのない言葉に傷ついています。
そしてヨブは言うのです。
ビルダデたちが語る神の姿は、表面的なもの、象徴的ものに過ぎないのだと、訴えます。
しかし、雷も空から勝手に地に落ちるのではなく、そこには神のみ心があるのだと、言うのです。
私たちが知ることができ、体験できる雷のように、神からの直接のことば、扱いを、ヨブは今、欲しているのです。
雷を私たちは具体的に直接的に受け止めることができます。
しかし、神がなぜ雷を地に落としたのかは、神が明かしてくださらなければ、知ることができません。
知っているようで知らない。
経験しているようで経験してない。
そんなもどかしさをヨブは感じ始めています。
ヨブもまた、ビルダデのように、知らないことを知らないと告白できなくなっているようです。
それほどヨブの絶望感が深いのです。
主よ。お語りください。しもべは聞いております。
あのサムエルが告白し、自らを注ぎ出したように、私たちはなることが大切だと感じます。
シャローム