「主権と恐れは神のもの。神はその高い所で平和をつくられる。」ヨブ記25章2節

ビルダデの3度目の言葉です。
主権は神のものというのは確かなのです。
天と地を造られた神は、すべてのもの、存在に主権を持っておられます。

しかし、ヨブはそのことを知らないのではありません。
神の前に小さき存在であることを知っています。
自分は神に造られた被造物です。すべての主権は神にあります。

知っています。
知っているのです。しかし、何故、今、自分にこの苦しみがあり、それが取り除かれないのかを知りたいのです。
慰めが欲しいのです。

主権者である神の前に、呼ぶはどうしたらよいのかという、解決が欲しいのです。
それはビルダデの言葉にはありません。
ビルダデの論調は、確かに真実の一端には触れていますが、血が通わない言葉です。
ヨブが欲しい言葉はこれではありません。

私たちも言葉を自分の唇に上らせる時には、その言葉が生きて人を慰め励ます言葉なのかを注意したいものです。
神は平和をつくられると、語るだけでは足りないのです。
それを語る人もまた、神がつくられる平和に参与するものでなければ、その言葉は生きていません。
神を知り、神のことばにいきる者でいたい。
シャローム