「あなたが「そのことを知らなかった」と言っても、人の心を評価する方は、それを見抜いておられないだろうか。あなたのたましいを見守る方は、それをご存じないだろうか。人の行ないに応じて、報いをされないだろうか。」箴言 24章12節

「〜ないだろうか」という表現を三度も繰り返して用いて、強く訴えます。
主は、あなたの心を見抜かれている。主はあなたのすべてと、あなたの周りに起きているすべてのことを知っている。そしてあなたの正しい行ないに応じて報いる。
それなので、あなたのおこないが主の目に正しくないのであれば、あなたには祝福ではなく、厳しいさばきがある。

私たちが弱っている人、困難に苦しむ人、悲しむ人の隣人にならないならば、主もまた、私の隣人になってくださらない。
知らなかったのですと、言い訳をするような事態を招いてはいけないのです。
知らなかったのではなく、知ろうとしなかったのです。

主は、私たち心を見られます。
私が弱っている時に主は私を決して見捨てない方です。
しかし私が隣人の弱さ、痛みを見ようとしないならば、主は私にふさわしい報いを与えるでしょう。
終末の日にイエスさまにお会いした時にそのことを知らなかった」と、言うことがないようにしたいのです。

私に何ができるかではなく、私が知ろうとしたか、私が隣人であろうとしたかが大切です。
主は、私の心とたましいを見守ってくださっているのですから。
シャローム