「なぜ、全能者に時が隠されていないのに、神を知る者たちには神の日々が見られないのか。」ヨブ記24章1節
ヨブは続けます。
悪をおこなう者が、その罪の免れて長生きをして繁栄していると、訴えます。
15節では、その悪者は、自分のおこなう悪に神は気づくことができない、見つけられないのだと言っているのだと示します。
悪を者たちは、神の目を逃れて、この世を楽しんでいるのだと。
しかし、ヨブが訴えるのは、悪人がさばかれないで楽しんでいるということではないのです。
罪は神によって必ず暴れてさばきがある。
神の目を逃れることはできない。
私たち人の齢の中では時を超える全能者の前に隠し通すことができる罪はない。
何故、人は神の目を誤魔化せる、隠せると思うのか。
何故、気がつくことができないのか。
何故、悔い改めないのか。
彼らは、神を見ようとしないのか。
何故、多くの人もまた、神を見ようとしないのか。
それは苦しみのある今も、これまでもヨブが神を見てきたという信仰があるからです。
ですから友人たちの責める言葉が、ヨブには何の助けにもなりません。価値がないのです。
神に隠せるものはなく、すべて必ず暴れる時が来る。
それは真実、良い行ないも同じです。
ヨブは、神を知っている、見ていると訴えるのです。
シャローム