「ああ、できるなら、どこで神に会えるかを知って、その御座にまで行きたいものだ。」ヨブ記23章3節

 再びヨブが答えます。しかしそれはエリファズの追及に弁明をして答えるのとは違います。
 今、ヨブの一番の嘆きは病の痛みや苦しみではありません。
 友人たちから苦しめられて嘆くのとも違います。

 ヨブは神を見失っているのです。
 ヨブは神を見出したいのに、見出せないことが苦しいのです。
 ヨブは神にお会いしたいのです。

 でもどうすれば良いのかがわかりません。
 どこへ探しに行けば良いのかが分かりません。
 8節、9節の言葉はまさにその嘆きなのです。
 もちろん、どこへというのが神殿に行けば見つかるのではないかという、そういう答えを求めているのでも、探しているのでもありません。

 でも分からないのです。
 見失っています。

 それでも、10節の「金のようになって出て来る」という告白は、神を見出して、神によって回復していただけることを信じている言葉です。

 見失っていて苦しくて嘆いています。
 でも諦めてしまったのではありません。
 見失った嘆きと、見出だせるそして神にも見出していただけるという期待があります。

 神に会いたいとの、この切実な思い、祈りを私も普段から忘れないようにしたいと思う朝です。
シャローム