「イエスは涙を流された。」ヨハネの福音書 11章35節

短い文章に本質が示されています。
1つ。 神が私たちと同じ人となってくださった。
悲しみを感じ、悲しむとき涙を流されるのです。
それが完全な神が完全な人となって地上に生まれてくださった。
今、そのイエス様が涙を流されています。
本当にラザロを愛していることが分かります。
そして兄弟を失って悲しむマルタとマリアのことも愛していつくしんでいます。

そのイエス様に対して、イエス様を嫉み憎む祭司長とパリサイ人は「その日以来、彼らはイエスを殺そうと企んだ」53節、なのです。
ひと時、怒りや憎しみで殺したいほどの感情が湧き上がったというのではないのです。
イエス様が人を癒し、ラザロを生き返らせて、人々の信頼を得たことを知ると、その日以来、ずっとイエスを殺そうと企み、その悪しき心と企みを抱え続けているのです。
十字架の日までずっとです。
恐ろしい罪の心です。

私たちはイエス様を信じて、イエス様の心に沿って歩みたいのです。
憎しみ嫉む人ではなく、喜ぶ人とともに喜び、涙する人と同じ心で涙する人になっていきたいのです。

イエス様は私の悲しみ知っていてくださいます。そして涙を流して、一緒にいてくださいます。
私の喜びをご自分のことのように喜んでくださるのです。
この地上での毎日をラザロのために涙を流されたイエス様に倣う生き方をしたい。

シャローム