「火がその枝から出て、 その若枝と実を焼き尽くした。 もう、それには 王の杖となる強い枝がなくなった。」 これは悲しみの歌、哀歌となった。」エゼキエル書 19章14節
エホアハズ王、エホヤキン王、エコヌヤ王、ゼデキヤ王と、ユダ王国が滅んで行く末期の王たちが、枝に例えられています。
4節には、エジプトの地へ引いて行ったと言う表現もあります。捕囚、都の崩壊といった国が滅んでいった様子が記されます。
13節では、渇いた、潤いのない地に移し植えられと、あります。バビロンへの捕囚を指しています。
それは主のさばきによります。そして王と民の罪の結果です。
火とは、神のさばきを示しています。
枝とは、王たちです。
神のさばきの火がユダ王国を焼き尽くして、滅ぶことが示されています。
しかし、それは枝と表現される王たち自信から出てきたのです。彼らの罪の結果です。
悔い改めの無い王たちですから、もう、ユダの枝からは、主のことばに従う良い王は現れないと、宣告されています。
滅びよりも、回復が与えられないことが悲しみです。
10節を読むと、これまでユダは、主の恵みによって豊かであったことが語られています。
その恵みの中で過ごしながら、主のことばに従わなかった王と民の罪は深いのだと改めて思います。
枝が折られるのではなく、火で焼かれるというのは、本当に厳しいさばきであることが分かります。
悲しみの歌を歌う前に、主の前に悔い改めの声を上げる者でいたい。
シャローム