「見よ。神はご自分のしもべさえ信頼せず、御使いたちのうちにさえ、誤りを認められる。」ヨブ記 4章18節 (2017新改訳)

自分の生れた日を呪ったヨブに対して、見舞いに来たはずの友人の一人であるエリファズが語り始めると、ヨブを責めるのです。
正しい人が神のさばきを受けるはずがない。
ヨブは以前から自分の正しさ、誠実さを語ってきたのだから、この事態に陥っているのは、ヨブが罪を犯したからだと、責めるのです。

罪人がさばかれるのは、確かです。
しかしヨブの苦しい現状はさばきの結果ではないのです。そんなことは分からない。

しかしエリファズは、自分に理解できないので、ヨブが罪を犯したのだと決めつけて、理解しようとします。
そして何よりもエリファズが間違っているのは、神を知らないことです。
エリファズは、神が厳しくてまるで冷血な存在のように捉えています。

あわれみ深くな避け深い神の姿を知らないのです。
これはとても悲しく不幸なことです。

ここ18節のような言葉を神に向ける人と、あわれみ深くな避け深い神を呼ぶ人と、どちらが幸いでしょうか。
答えは明確です。
私たちは、神さまのことを良く知らなければいけない。
そうでないと、悲しみ苦しい時に、それを忍耐して神さまの祝福を受け取ることができないのです。

神はご自分のしもべさえ信頼しない方ではなく、罪人が滅ぶことさえも惜しんで忍耐して、恵みを与えようとしてくださる方です。
ここ18節は、神の愛を知らないエリファズの姿だと言えます。
シャローム