「善意の人は祝福を受ける。 自分のパンを貧しい者に与えるからだ。」箴言 22章9節
「善意の人」と、記されるのは「目つきの良い人」と言う表現です。
これは隣人を親切な心と優しさを持って見ることができる人のことを指しています。
続く言葉には「自分のパンを与える」とありますから、善意の人の行動を示していることになります。
しかしその人は、隣人と接する最初から、その心と行動が善意の人なのです。
ここ2節には「富む者と貧しい者が出会う」とあります。
富む者も貧しい者も、主の前には等しい人であり、主が造られた人です。
ですから貧しい者であっても、富む者であっても互いに相手を見る時には、嫉んだり蔑んだりしてはならないのだと、教えています。
人は隣人と接する時、その人を見る時に、どのような心で相手を見るのかという最初の時から、その人が善意の人なののかそうではないのかが現れるのでしょう。
そして善意の人は主に祝福される人となり、そうではない人は主の怒りのむちの前に進んで行くことになります。
隣人を見る目は、結局のところ自分に向けられていることになるのでしょう。
主は貧しい者も富む者も見守っておられるのです。
隣人を物事を見る目を優しく見ることができる者となっていきたいものです。
シャローム