「すると、主がろばの口を開かれたので、ろばはバラムに言った。「私があなたに何をしたというのですか。私を三度も打つとは。」」民数記 22章28節 (2017新改訳)

モアブの王バラクは、自分の領地を通ろうとするイスラエル人の数が多く強いのを見て恐れます。
そしてバラムを招いて,イスラエル人をのろってもらおうとするのです。
しかし神がバラムに語り,神の告げることだけを語り,イスラエル人をのろってはいけないと,語りかけます。12節。
バラムは、再度のバラクからの要請に応えるのですが、その思いは、自分の欲望のためにバラクの願いを聞き入れようとするものでした。
主は,当然のことですが,バラムの思いを知っておられて、主の使いを遣わしてバラムの前に立ちはだかるのです。
主の使いを見たろばは道を変えますが、それを知らないバラムはろばを打つのです。

その時,主がろばの口を開かれたので、ろばはバラムに訴えるのです。
この後、当たり前のように、バラムとろばが会話するのです。(個人的には、私はこの会話が普通に進むことを不思議に思います。)

大切なことはこうです。
本当ならば、口など利けないろばですら、主を恐れて従うことを知っています。
しかし主からの語りかけを経験しているのに、人であるバラムは、主を欺いて自分の欲望を果たそうとします。
主を欺けると考えたならば、あまりに愚かです。
口の利けないろばより愚かなのです。

主は、バラムの不誠実と愚かさを、ろばが口を開くことで示されます。
そして主が全能の方であることを示します。
この主のことばに誠実に従うことを求めるのです。
ろばができることを人ができない。

三度もろばを打つ機会があったならば、三度も悔い改めて主のことばを聞く機会があったと言うことです。
私たちは、主の語りかけを何度も聞き漏らしてはいないでしょうか。
安息日。礼拝の日です。主のことばに素直に聞き従う日としましょう。
シャローム