「主はイスラエルの願いを聞き入れ、カナン人を渡されたので、イスラエルはカナン人とその町々を聖絶した。そしてその場所をホルマと呼んだ。」民数記 21章3節 (2017新改訳)
「ホルマ」は「ハラム」聖絶するという意味の言葉から派生した「滅び」の意味の言葉です。
旅を続けるイスラエルの民のことを快く思わないで敵対する人々や町が幾つも現れます。
カナン人もイスラエルを攻撃しましたが、イスラエルの願いを聞いてくださった主によって、カナン人の町は倒されることになります。
主の恵みと助けによって勝利したイスラエルは、そのことを覚えて、その場所に名前をつけたのです。
21章には、幾つかの戦いが記されます。
イスラエルが、平和に通り過ぎることを願っても、自分たちの領土を通ることさえ許さなかったアモン人の町を主は滅ぼされます。
このような恵みを経験しているイスラエル人なのですが、その戦いの途中では、自分たちも主に逆らい、主の恵みを忘れて呟き罪を犯すのです。
毎朝降ってくる恵みのパンであるマナのことを飽き飽きしたと呟くほどです。
主は、そのようなイスラエルをさばきます。
燃える蛇が送られて、イスラエルの民は噛まれて死ぬ者が出ます。
それでも主は、モーセの執り成しの祈りに答えてくださって、罪が赦される方法を与えてくれます。
信仰によって仰ぎ見る者は赦されるという、十字架に上げられて、私の罪の身代わりに死んでくださったイエスを信じる者は救われることを象徴する「旗ざおの上に上げられた青銅の蛇」の事件はここで起きます。
主に逆らい罪を重ねた上で、自分たちの力を誇ったカナン人やアモン人は滅びました。
主に聖絶されて、罪がきよめられたのです。
しかし外の敵に打ち勝ちきよさを得ても、イスラエル人もまた、自分たちの内側に罪の汚れを持ちます。
それがマナのことで主に逆らうという、大きな罪となって現れたのです。
ホルマ、罪を聖絶してきよくすることは、自分の周り現れる出来事だけではなく、自分の内側の心に沸き起こる罪に対しても聖絶しなければなりません。
心の内に罪をおこなえば、それは罪であることをイエス様は指摘されます。
旅の中で、周りに起きる罪と汚れには、祈りによって戦い勝利するイスラエルですが、自分の内側に罪は、その勝利の恵みと恵みの間に、次々と湧き上がるようです。
自分の内側に起きる問題、罪こそ聖絶しなければならないと、教えられます。
そしてそれは自分の力で行うのではなく、主の恵み、マナに朝ごとに感謝しながら、祈りとともに行い実現するのです。
シャローム