「なぜ、神のように私を追いつめるのか。なぜ、私の肉で満足しないのか。」ヨブ記 19章22節 (2017新改訳)
ヨブは今、孤独の中にいます。そして彼の家のしもべたちからさえも、蔑まれる存在になっていると嘆きます。
15節では「よそ者」「他人」のように蔑まれ嫌われていると嘆いています。
新約聖書、エペソ人の手紙2章12節、19節では、パウロが異国人である人たちがイエス様に愛されて救われていることを「もはや他国人でもなく、聖徒と同じ神の家族」であると、その喜びを表現しています。
ここのヨブはそれとはまったく反対なのです。
嘆き、絶望しかありません。
そこに追い討ちをかけるのが友人たちです。
私の肉で満足しないのか、とのヨブの嘆きはなんでしょうか。
友人たちがヨブを病したのではなく、暴力を振るうのでもありません。
ただ彼らが責め立て、ヨブを罪人として扱い迫るばかりなので、ヨブの心は傷ついて、その信仰さえも揺らぎ始めているのです。
これが友人たちがまるで神如く、ヨブを追い詰めていると言うことです。
身体の病が癒されず、心も弱まり、他の人に責め立てられている時に、ヨブに寄り添い、ヨブの信仰を励ます友人がいないのです。
ヨブを訪ねて来た日から、いったいどれくらいの時間が経過したのでしょうか。
ヨブは心配して尋ねてきたはずの友人たちの言葉と態度によって今、その信仰さえも揺らされています。
これは身体の痛み以上に痛く苦しいのです。
このヨブを救い出し、慰めることができる人がいるのでしょうか。
神の助けを待ちたいと思います。見たいのです。
シャローム