「まことに、これが不正を働く者の住い、これが神を知らない者の住む場所である。」ヨブ記 18章21節 (2017新改訳)

今度はビルアデが語ります。
まず最初に1節の初めからビルアデは、ヨブが自分の罪を認めることから初めよと迫ります。
ヨブがエリファズに反論したことに激しく怒りを覚えているようです。

道草になりますが。通読の途中でこのヨブ記が読み難くなるのは、このエリファズ、続くビルアデの主張を読む辺りからではないでしょうか。
何故ヨブがと言うことよりも、友人たちの執拗で厳しい言葉に、読んでいて気持ちが暗くなるからです(私はですが)。

さて、ビルアデはヨブの身体に病が現れていることも含めてすべてが、ヨブの中にある罪の結果であり、それが神がさばかれている理由だと語るのです。
だからまず、罪を認めよと。
語り合うのは、その後だという訳です。

そして最後の21節で語るのは、罪人のあるべき姿。
ヨブの今ある姿こそが、罪人である結果。
罪人が行くべきゴールだと、訴えています。

決めつけています。
神の深い義と愛には思いが及んでいません。
ヨブに対する愛とあわれみもありません。
これこそ罪人の姿なのではないかと思います。

イエス様の前に姦淫の罪を犯した女性(それも女性だけ)を引き出してきて、罪を責め立てていた群衆たちの姿に重なりました。

友人として、ヨブを慰めに来た『友人」は、何処に行ってしまったのでしょうか。
神を知らない者とは、罪人だけではなく、愛を知らない人なのかと思いました。
シャローム