「祭司エルアザルは指で血を取り、会見の天幕の正面に向かってこの血を七度振りまく。」民数記 19章4節 (2017新改訳)
死の汚れを取り除こうという儀式についての方法が示されています。
2節に牛が用いられることが示されています。
その牛には厳しい条件があります。
「まだくびきを負わせたことがない」牛であること。
「傷のない完全」な牛であること。
「赤い」牛。
「雌牛」であること。
くびきを負わせたことがないとは、力仕事をさせられていないので、力に溢れていることを示します。
傷のないは、主が取り除いてくださる汚れは、完全なものであるから、用いられる牛も完全で傷がないものでなければ、駄目なのです。
象徴的な意味をなしません。
赤胃と言うことは、血を表し、いのちそのものを象徴的に示すのです。
雌牛は、子どもを産みますから、いのちを表すのです。
こうしていのちに溢れる雌牛を象徴的に用いて、汚れを取り除くことをします。
そしてその血を、七度振りまくのです。
「7」はイスラエルにおいては完全数と理解されています。
この儀式は象徴的な儀式に過ぎませんが、それでも完全であることを示すためにこうします。
そして正面に向かって振りまくのは、主が、私たちの罪と汚れに真っ直ぐに向き合ってくださり、きよめてくださることを示すのです。
主に信頼して、主の前に真っ直ぐに行く者は、この儀式の通りに、自分の罪をきよめていただけるのです。
そして赦された者として、神との交わりに入るのです。
私たちは、自分の行いにおいて完全なものというのはありえません。
しかし、主はそうではありません。
完全に私をきよめ赦すことができる力と愛のある方なのです。
主が定められた儀式であり、その方法を示す箇所ですが、ここにも私を愛してくださる主の姿を見ることができます。
律法の書は、難しいだけのルールを示した文字が書かれているのではなく、主の愛が文字に表され、形になっているのです。
シャローム