「これらの災害によって殺されなかった、人間の残りの者たちは、悔い改めて自分たちの手で造った物から離れるということをせず、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた偶像、すなわち見ることも聞くことも歩くこともできないものを、拝み続けた。」 ヨハネの黙示録 9章20節
主のさばきが私たち想像を超えた姿、形をもった存在によっておこなわれます。
そのさばきである恐ろしい災害によって主を信じない者たちが殺されていきます。
しかし、その災害で殺されなかった人には、悔い改める機会が与えられたと考えることができます。
しかし、終末のこの時に至っても好き勝手、自分の思うままに歩むことを望む人は、偶像から離れることをしません。
創造主である神様に造られて命を与えられたのが私たちなのです。
それなのにそんな造られた存在の私たちが、これが神様だと言って「金、銀、銅、石、木で造られた像」を崇め、拝むのです。
それをこのさばきの時にも続けるという、頑固さと愚かな心を持っていることが示される場面です。
悔い改めて、主である神様に立ち返り、主とともに生きることができる機会は、主ご自身の私たちへの愛によって与えられています。
素直な心でいつも主のことば、愛のことばを聞く者でい続けたい。
シャローム