「まことに神は今、私を疲れ果てさせました。あなたは、私の仲間をみな荒れ果てさせました。」ヨブ記 16章7節 (2017新改訳)

エリファズが指摘するヨブの罪など、ヨブは立場が代われば、自分にも幾らでも指摘できる程度のことなのだと、訴えます。
友人たちはヨブの苦しみ嘆きの本質が分かっていないのです。
ヨブが必要としている慰めや助けについて、エリファズたちは分かっていないのです。
ヨブと友人たちの親しい関係は壊れてしまったのです。

しかしヨブにとって、一番の問題は、神と自分との関係が崩れてしまったことです。
そうヨブは感じています。
神が酷くヨブのことを責め立てるので、ヨブは苦しくなります。
そして神が苦しみを与えるので、友人たちとの関係も壊れてしまったのです。
ヨブは、そう感じています。

ヨブは今、病などの苦しみではなく、神とヨブとの関係が崩れてしまったことを嘆き、苦しみを訴えるのです。
友人たちが仮に今、ヨブを慰めたとしてもヨブの心には平安はありません。

ヨブは、神にどのように訴えたらよいのかが分からないのです。
私たちにもあります。どう叫び、どう願えばよいのか。
こうしてくださいと、神に、訴えることばが見つからない時、私たちは何をしたらよいのでしょうか。
どう祈ったらよいのか分からない時、途方に暮れます。

ヨブの訴え、嘆きの言葉はどんどん間違った方向へと行くようです。

このような時には、神さまの方から語ってくださるのを待つしかないのでしょう。
静かに待つと言う祈りが、私たちには必要な時があるようです。

シャローム