「わたしは激しい憤りで彼らを懲らしめ、彼らに大いなる復讐をする。わたしが彼らに復讐するとき、彼らは、わたしが主であることを知る。」」エゼキエル書 25章17節
14節では、主がイスラエル人を用いてエドムに復讐をすると語ります。
続いて15節からは、ペリシテ人に対して復讐をすると語ります。
この場合の復讐と、罪に対するさばきのことです。
自分たちを苦しめてきた敵に復讐をあるということではありません。
報いという面では通じることがあるでしょう。
主を主としてあがめず、偶像礼拝をする民を主が、その行いに応じて報いることを、ここでは復讐と語るのです。
主は、イスラエルの民が罪を犯して悔い改めないならば、周辺国のバビロンを主の剣のように用いて、イスラエルをさばくのです。
しかし、そのバビロンも、エドムも、ペリシテも、主はいつまでも放置されません。
ここにあるとおり、彼らもまた、主のさばきを受け取るのです。
そして主のさばきは、罪に対する罰という面で終わりません。
最終的には、彼らが、主がおられること、主だけが真の神であることを知ることが、さばきの大切な
面なのです。
主は世界の主です。主こそ神、主だけが神です。
罪をさばくことができるのも主だけです。
シャローム