「すると、イエスは言われた。「彼女を、するままにさせておきなさい。なぜ困らせるのですか。わたしのために、良いことをしてくれたのです。」 マルコの福音書 14章6節

 14章です。

 ここでの出来事は、女の人が、純粋で非常に高価なナルドの油を、その壺を割り、イエスの頭に注いだことが始まりです。
 弟子たちは、高価な油を売れば、一年分の収入にも近い金額なって、貧しい人の施しができたはずなのに、無駄なことをしたと、この女性を厳しく責めたのです。
 きっと女性は困ってしまい、弁明の一つもできなかったのでしょう。
 イエスが彼らを叱ったのです。

 8節ではイエスさまは、この女性は前もって埋葬の準備のために香油を塗ってくれたのだと言います。
 さらに、後には、この女性のしたことは記念として語られると教えるのです。
 イエスさまの十字架の死のための香油を塗ったということです。
 この女性が、イエスさまの十字架の死のことをどこまで正しく理解していたのかは分かりません。
 しかし、分かっていることが二つあります。
 「イエスのためにした」そして「良いこと」

 この時、祭司長、律法学者は「機を狙い」イエスを殺そうとしてました。
 ユダもまた「機を狙い」イエスを売り渡そうとしていました。
 みんな自分のために、悪を計っていたのです。
 その時、この女性だけが自分のためではなく、イエスさまのために行動しました。
 弟子たちでさえ、貧しい人に施しをしようと言いながら、自分のための行動を考えたのです。
 誰もイエスさまのことを考えず、本当に良いことを行動できない時に、この女性だけが動いたのです。
 それも壺を割り、惜しみなく愛を表しました。

 機を狙うばかりでは良いことはできません。
 自分ができる良いことは、心からの惜しみない思いがないと行動できないのです。
 イエスさまは私たちの心をご覧になり、小さな行動を最大限に受け取ってくださるのです。
 イエスさまを思い、イエスさまに渡そう。そう思う朝です。
シャローム