「私には、咎と罪がどれほどあるのでしょうか。私の背きと罪を私に知らせてください。」ヨブ記 13章23節 (2017新改訳)
ヨブは友人たちの主張は価値がないものだと訴えて、黙ることを求めます。
そして神と直接語り合うことを求めます。
ヨブは、神に全面的に従うと語ります。
しかし続く言葉で、ヨブは自分の咎と罪を知らせて欲しいと、訴えます。
神に従いますと語りながら、無実なのですとも語ります。
神からは、わざわいをも受けとるのだと、妻に語っていたヨブの主張が変わってきました。
友人たちが、自分を神の代弁者のごとく、ヨブの罪を指摘し責める言葉を続ける中で、ヨブは自分の無実を訴え始めたのです。
ヨブに咎と罪があるかないかではなく、神のなさることを受け取るという信仰がいつの間にか揺らいでいます。
今、ヨブの身に起きているわざわいが罪の結果のさばきだと、友人に責められることで、無実を訴えるようになったのです。
何故と言う思いが湧き上がってくるのは仕方がありません。
そして、そのような苦しい時ほど、すぐに答えは見つかりません。
神の答えを待つ。
信仰者としては、それが一番正しい態度なのです。
しかし、私たちは弱く小さな存在です。
そんな時に、友人に責められたならば、信仰が揺らぐこともあるでしょう。
ヨブの変化、その言葉は私たちの弱さをそのまま現します。
ただ今、この13章では神が黙っておられるのだと言うことを受け止めて、なお神の答えを待つ。
そのような信仰へと成長したいものです。
それでもなお思うのは、この苦しみの中で、神と直接語り、神に祈ろうとするヨブの信仰に倣いたい。
他の人に呟いたりするよりも、神に祈りたい。
シャローム