「安らかだと思っている者はわざわいを侮る。わざわいは、足がよろめく者に用意されている。」ヨブ記 12章5節 (2017新改訳)

ヨブが応えます。
彼らがヨブを責める根拠としている教理や神さまに対する理解はヨブも知っているのです。
ですからヨブも2節で、平凡な知識など取るに足りないと、皮肉で返すのです。

ヨブが問題として、また、嘆いているのは正しい者さえも主は試練に会わせられて苦しみを与えることがあるという事実の中で、どう生きるべきかということです。
どのように試練の中で慰めを得て、歩み通せるのかと言うことです。

しかし彼らは、友人なのに自分たちは安心して、苦しみの中にいるヨブを責めるのです。
平安の中から、苦しみの中にいる人を蔑み、責め立てて抑圧していると、訴えるのです。

友人たちは、自分がまたヨブと同じように苦しみを受けるかも知れないことには心が向きません。
想像できないのです。
そしていつの間にか、苦しむヨブを蔑んでしまっているのです。
最初に彼らの心にあったヨブへの共観、慰めの心は失われてしまったようです。
友人たちのこの態度はヨブにとっては二重の苦しみです。

友人たちの愛とあわれみのないことばは、ヨブをも愛とあわれみのない応答をさせてしまいます。
私たちは苦しみの中にいる友人の中に、何を見て、どのような言葉を掛けるのか、掛けないのか、問われていると思います。
シャローム