「彼らに言え。 わたしは生きているー主のことばー。わたしは必ず、おまえたちがわたしの耳に語ったとおりに、おまえたちに行う。」民数記 14章28節 (2017新改訳)

民はまたまた呟くのです。
主は自分たちを死なせるためにエジプトから連れ出して、荒野で倒れるようにされるのだと、声を上げました。
イスラエルの民は、神を知っており信じているはずです。
その信じているというのは、どういうことだったのでしょう。
主に向かって呟いた声は、届かないとでも思っていたのでしょうか。
信じていないから呟いたのか。
それならば、主が死なせるつもりなのだとは呟かない気もするのですが。

しかしまことの神であり、存在されている神、主はすべての声を聞いておられます。
助けを求める叫びも、主に逆らう声も、主に向かって呟く声も聞いておられます。

主はここで答えられます。
「わたしは生きている」
このことばは大切です。
主が存在していることをご自分から明らかにされていることばです。
主は生きて働かれる方であることを表します。
主は力ある方だと分かることばです。
主がすべての人の声を聞いていることを示します。

2節で、不平を言い、自分たちは死んだらよかったのだと呟い民自身のことばの通り、主の耳に届いたとおりになると言うことです。
この後、彼らは荒野を彷徨い旅して40年を過ごして死ぬことになるのです。
主を信じ期待して声を上げたヨシュアとカレブは、祝福されました。
主の生きておられるのです。主はそうする力があります。

私が、朝ごとに主を信じ、委ねて、どのような祈りと賛美の声を上げるのかが、今日の私、40年後の私の生き方を決め、恵みを同受け取るのかを決めます。
わたしの声は、生きている主の今朝も届いています。
シャローム